ご無沙汰いたしました。
マルニは元気でやっております。
先日、私的な大仕事を無事に終え、さて久しぶりにブログでも更新しようかと思ったけど・・・。
ちょっと前に、匂わせるような記事を書いといてずいぶん間が空いて、突然コロッと普段のブログに戻るのもどうも変なような・・・。
私の近況を遠慮がちに気遣ってくださる方もおられるし・・・。
ということで、こんなことを全世界に発信するってどういうこっちゃ?と呟きつつ、ご報告させていただきます。
今の時点で思いつくままにだらだら書いてみますので、ご興味のある方だけ、読んでいただけたら幸いです。
また、もしもどなたかの気持ちを翳らせるようなことがありましたら、どうぞお許しください。
先月末、マルニの父が79才で他界いたしました。
20年近く前からけいれん性狭心症の発作をくりかえしていましたが結局のところそれは持ち堪え、4年前に見つかった癌が進行して、この春に受けたあと2ヶ月との宣告通りに息を引き取りました。
父が心臓に爆弾を抱えていると言われてから、私はずっと怖かった。
祖母の一人は自宅で看取ったし、順番なんだと頭では分かっていましたが。
親を見送るということが受け入れられず、そして、父越しに見える死というものがずっと怖かった。
そうしている間に、結婚して出産もし、何人もの親戚、友人、知人の訃報があり、あの大地震に揺さぶられました。
でも、この春休みにいよいよあと2ヶ月と聞いてから、なぜか私の心は不思議なほど静かになりました。
近くに住まないことを私自身が選び続けてきたことについて、葛藤していた時期もあったけれど、それは必然の選択だった、あとはできることをやるのみ、と納得もできるようになっていました。
そして2ヶ月間、夫と子供達、身近な方たちに甘えて、できうる限り父に寄り添うことができました。
いつもと違う時間の流れの中で、たくさんのことを思ったり考えたりしました。
グリーン・ハンド/緑の手 という言葉がありますね。
植物を育てるのが上手な人のこと。
父は、誰もが認めるまさにグリーン・ハンドの持ち主でした。
40年前に数家族で祖父の山に行き、皆で持ち帰ったというリュウキンカは、うちの庭でだけ今でも花を咲かせます。
野菜も木々もそんな具合。
山菜取りに行けば必ず大量ゲット。
植物だけでなく、庭のメダカはいつまでも代替わりして生態系を維持し続ける。
巣から落ちていた燕の雛は、父の手の中で青菜のすりつぶしを飲み込み始める。
田んぼに散歩に行けば、畦のいろんんな葉っぱがいろんな笛に変わる。
木片から本物みたいな雀が削り出される。
川で拾った石ころをいじっていたかと思うと、伸びをしている猫に変わって卓上にいる。
もちろん、苦手なものもたくさんありましたけどね。
人付き合いとか(笑)。
手先が器用だったのには違いない。
自分の器用さがいつも得意でありながら、油絵を描く中では、その器用さを乗り越えようとあがいているように、子供ながらに感じたりもしました。
何かにさわる時のあの手つき、けして丁寧すぎないガサガサとしたあの手の動きは、目に焼きついています。
器用さだけではない。
グリーン・ハンドの秘密はなんなんだろう?
2ヶ月の間に一番たくさん考えたことです。
ベッドの中で父は、手足をさすってあげるのをとても喜びました。
とくに、私が足をこすってあげるのを気に入っていました。
足をこすりながらよく思い出したのは、東京大田区で子供達が通っていた保育園のこと。
特別な特別な保育園で、劇的な気づきを沢山いただきました。
そこで、子供達は寝転び、お母さん達が両手の平でさすってあげていた時。
他の子供達は気持ち良さそうにだら~っと脱力しているのに、我が息子はそわそわと落ち着かずに動き回っている。
園長のゲキがとぶ。
「表面だけこすってたって駄目よ!
お母さんが心ここにあらずでそわそわしてたら、子供にも伝わるわよ!
こうやって・・・、自分のおへそに力を入れて、手の平に気持ちを込めて・・・」
父の足をさすりながら思考は飛び回り、いろんなところでいろんなことが繋がる。
一生忘れられない、濃厚な2ヶ月間でした。
かなりハードではあったはずなのに、太りました。。。
母と姉と女3人揃えば、まあよく食べるわしゃべるわ。。。
病人の脇で。
そんな2ヶ月も最終段階に入ると、実際に死に挑む際のさまざまな現実が怒涛のように押し寄せてきました。
家で看取るということ、家族の覚悟。
病院で見送るということ、それぞれの病院の対応。。。
良い経験になりました。
次は、2人の母を見送る時に生かしてあげようと思います。
そして、またまた怒涛のような葬儀一連が過ぎていきました。
不謹慎な小噺ならいくらでもありますがな。
母に叱られるから書きませんが。
まあ、毒のないところでは、うちの息子達が式服の中ノーパンだったとか(もしかして夫も!?)
棺に釘を打つ役目を仰せつかった夫のトンカチ使いがあまりに鮮やかで、参列者全員が心の中でくすっと笑ったとか(たぶん)。
そして今、客観的に見れば、父はとても幸運な死を通り過ぎたと思います。
生と同様、死もまた甲乙つけられるべきものではないのでしょうが。
少なくともごく一般的な状況ではあったにもかかわらず、死というものはやはり圧倒的でした。
父がいないということが、やっぱりどうしても不思議で、その事実だけが宙に浮いています。
でも私は、父の死を乗り越える術をたくさん持っているようです。
乗り越えるというのはちょっと違いますね。
内包して、父の死と共に生きるというか・・・。
生まれて育って今まで生きてきた中でのあらゆる出会いが、私に教え、支えてくれているように感じます。
今度は私が愛をもってまわりを慈しむことで、すべてが繋がるような、漠然とした思いも湧いてきたり・・・。
手を伝って慈しみを注ぎ込むことができる友禅は、私にとって大切な術のひとつです。
ああ・・・。
このままだと綺麗にまとまりすぎるじゃないか・・・。
なぜか言い訳をしたくなる私・・・。
というわけで、報告以上です(笑)。
今後ともどうぞよろしくお願いいたしますm(_ _)m
~染帯*名古屋帯~マルニ友禅工房
