30枚弱・・・。
お誂えをたくさんお待たせしておいて、身内のが先!?
なんてことは、心の広いマルニのお客様方はきっとおっしゃらないんじゃないかしら・・・?
と、甘えさせていただいておりますm(_ _)m。
それぞれに照準を合わせ、きちんと心身をを整えて制作いたしますからね。
お誂えの場合は画像公開をためらわれる方が多いので、今回の風呂敷は制作風景をご紹介しようかと写真を撮っています。
でも、制作に手いっぱいで、説明文などかいている余裕がありません。
終わりましたらご紹介いたしますね。
ということで今日は、房総のアート情報誌Art Editorさんに書かせていただいた文章を、ここに掲載しようかと思います。
マルニの“染”に対する今の気持ちを、知っていただけたら嬉しいな、と。
※下の文章に間違いがありました!
「帯揚げ帯締めから草履までぜんぶ白」
→足元は白の草履ではなくて、〝わらじ”でした!
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「愛しき布」
遠い初秋の日、山形の小さな古いお寺で、祖母の葬儀が行われた。
いつも着物にもんぺを穿いて、無口で、お手玉から長着まで何でもちゃっちゃと縫ってくれる人だった。
中学生だった私は、濃紺の制服を着て列に並んでいた。
先頭は喪主である父。
白い着物に白袴、瓶覗き色の裃?肩衣?を着けていた。
故人の娘である母も白装束。
帯揚げ帯締めから草履までぜんぶ白。
白い帯に白木の懐剣が差してあった。
そして親戚の幼い娘達は、色とりどりの華やかな振袖。紅花染めの赤・・・。
喪服の群れと古寺を背景に、その衣装の対比は夢のように美しかったのを覚えている。
木、竹、藁、鋳、陶、紙・・・、昔から日本の生活を支えてきた素材の中で、やわらかな布は最も女性的な感じがする。
古来から女性は、布というものを愛でてきたのだろう。
布というより、布を通した“何か”だろうか。
赤ん坊をくるみ、お供え物を包み、千本針に祈りを込めて兵士に託し・・・。
美しい模様が施された布は、着物から襦袢へ、帯へ布団へ、お手玉や巾着へと、最後まで愛された。
祖母の手作業を思い出すとき、布を慈しむということが、女性が生きることそのものと重なりあって思えるのだ。
そして、祖母の残した着物や小物達の粋でおしゃれなこと!
どんな厳しい時代でも、誰か何かのために生きながら、美しいものを愛で、自分を愛でる。
そこに生きる歓びを見出す。
女性とはなんとたくましく、可愛らしいのかと思う。
弟子入り時代、華美できらびやかな友禅という染にどこか反感を持ちつつ、職人として技術を得ることに熱中していた。
最近になって、鍛錬はけして忘れてはならないけれど、完全分業の京都の職人さんの技には、どうしてもかなわないとも思うようになった。
一方、友禅染の生命線である糸目糊にゴム材を使用するのが主流の現在、昔ながらのもち米糊を使い続けることなどは、私のような個人でほぼ全工程を行う友禅職人(模様師という)の使命でもあるように感じている。
そして、華美だろうがなんだろうが、誰かが喜びを感じてくれる布を染めたいと思うようになった。
手にしてくださった方々の声が、それを教えてくれた。
今、テマリカンボクという花の帯の依頼を受けている。
急逝されたお父上と愛犬の散歩道に咲いていた花だという。
どうしても実物が見たくて、近辺を探している。
慈しまれる布を染めようとすることが、私の中に慈しみを育んでくれるのだ。
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~染帯*名古屋帯~マルニ友禅工房


